「人に迷惑をかけてはいけない」
子供の頃にそう教わった人は多いですよね。この思考、実は結構危険です。
我慢強い人になる反面、デメリットがとても大きいことに気がつきましたか?
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迷惑はかけたくなくてもかけてしまう
人は、独りで生きることができない生き物です。成長過程にあるならなおさら、人に迷惑をかけ、その関わり合いの中で人は成長を遂げることができます。
それなのに、周りからは「人に迷惑をかけないように」と強く言い聞かせられるばかりですよね。
想像してみてください。初めての事に挑戦する時は、成功するよりも失敗することの確率が高いですね。その失敗で、誰かに迷惑をかけていたとしたら、それはいけないことなのでしょうか。
例えば、子供の頃の初めてのおつかい、学校や職場で責任のある立場に就く、結婚して子供を育てるなど、人生には初めての事がとてもたくさんあります。
そのひとつひとつで、誰にも迷惑をかけないでいられるように生きるのは、宝くじに当選するよりも難しいとは思いませんか?
インドでは、親からこう教わっているそうです。
「人は人に迷惑をかけて生きている。だから、人に迷惑をかけられても許してあげなさい」
この考え方を子供に教えるのが一般的だそうです。日本とは真逆の考え方ですね。
率先して、人に迷惑をかけるように生きるのは違うでしょう。
けれど、自分の力でどうにもならなくて、人に頼ったり迷惑をかけてしまったりしながら生きることは、注意されるような悪いことではありません。間違いでもありません。
迷惑をかけないように生きると生き辛くなる
誰にも迷惑をかけないようにと肩ひじを張って、緊張しながら生きていくのは、想像しただけでも大変そうです。
素直な子供ならば、「迷惑をかけるのは、悪いことなんだ」と思い込み、誰にも迷惑をかけないようにしなければならないと思い込んだ結果、人に頼ることができず、何でも一人で抱え込む癖がついてしまいます。
「人に迷惑をかけてはいけない」と教育した結果に現れるデメリットが、生き辛さです。
人に頼れないという状態は、何かをお願いすることもできませんが、相談することさえもできない状態も含まれます。
困ったことができた時に、まず自分で解決策を探そうとするのは良い傾向でしょう。けれど、誰だって行き詰ってしまうことはあります。
そんな時、他の人に相談してみるという選択肢が最初から浮かばないのです。相談できなければ、自分の力の及ぶ範囲、考えが及ぶ範囲でしか物事を解決することができなくなります。
そうやって自分の世界を小さく狭めてしまえば、生き辛さを強く感じてしまうようになるだろうことは、想像に難くありません。
また、この『迷惑』を誰が判断するのかというと、判断は自分以外の人ということになります。迷惑をかけていないかどうか、その判断基準を人に委ねている状況は、まるで他人軸な思考ではないでしょうか。
「迷惑をかけたらいけない」という呪縛は、生き辛さという重石を常に抱え、他人軸の思考を持ってしまう教えだといえます。
『お互い様』の心を持とう
人に迷惑をかけないようにと気にしていると、人の目が気になって仕方ありません。ひどくなると、飲食店で自分が少し椅子をずらしただけで、周りの人に迷惑がかかっていないか気が気でなくなってしまうほど。
だから、『お互い様』と迷惑を許し合う思考を持ちませんか?
相手が故意に迷惑をかけようとしているのではなければ、それは何かに挑戦して失敗してしまっただけのこと。
それは、いつかの自分で、これからの自分でもあります。
自分も、誰かにきっと迷惑をかけています。
けれど、その時に迷惑を受けた人は、文句を言わずに見守ってくれたのかもしれません。
では、目の前で起きた迷惑な出来事も、自分がしてもらったように見守ってあげてもいいのではないでしょうか。
もし余裕があるならば、手を貸してあげてもいいのではないでしょうか。
『お互い様』という言葉が、思考が、真に人の優しさから湧き出る思いとなれば。
悪用するのではなく、ずる賢く利用するのではなく、真に「お互い様だ」と思う人が増えれば。
この世界はもっと生きやすくなるはずです。
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