『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』というタイトルの本があります。医師であり心理療法士でもあるラス・ハリスが書いた本です。
この本のタイトルのように、幸せを追い求めると幸せは手に入らないのでしょうか?
目次
幸せを追うと幸せではなくなる
医師であり心理療法士でもあるラス・ハリスの書いた本に、このようなタイトルの本があります。
『幸福になりたいなら幸福になろうとはしてはいけない』
この本では、幸福になろうとする人ほど、自分の内面にばかり注意を向けてしまい、外側への注意がほとんどなくなってしまうことが、幸福が遠ざかる原因としています。自分にばかり注意して、誰のことにも見向きもしない人。それは自己中心的な考えに縛られ、自分以外の誰にも配慮しない人といえるのかもしれません。
確かに、そんな人が幸福に包まれるかというと、そんなことは無いといえますね。
形骸化した幸せ
私達の幸せとは何でしょうか?少し昔、ほんの30年ほど前までは幸せの形がくっきりと明確になっていましたね。子供は健康で無邪気に元気に遊び、勉学をしっかり学んでいい学校に入り、無事に卒業する。そして大人になったら、誰もが名前を聞くような企業に就職し、適齢期に結婚し、家を建てて、車を買い、子供を産み育て、その子供たちが成長して大人になったら、家で配偶者と静かに暮らしていく。
こうした幸せの形が、その時代のステイタスとして明確化されて、誰もが夢見る形となっていました。
けれど、今はそうではありませんよね。幸せには様々な形が増えました。
誰にも束縛されたくないという人は、結婚は幸せではありません。
ローンを支払う余裕のない給与額で家を購入することは幸せではありません。
今まで描かれてきた幸せの形は、今は幸せとは言えない。そう思っていながらも、では何が幸せなのか、明確にわかっていないのではないでしょうか?
自分の幸せの形を考える
今は個性が重要視されています。それと同じで、何を幸せと思うか感じるかは、個性があるんです。晴れた日の公園を歩くだけでも楽しいと感じる人もいれば、家の中で音楽を聴いているのが楽しいと感じる人もいます。人によって幸せの形は様々なんです。
そんな様々な幸せの形の中で、近しいもの同士や補い合えるもの同士が寄り添って暮らすこともあるでしょう。それが結婚という形式にならなくても、寄り添っているだけで良いという人もいるでしょう。
幸せの形には制限はありません。何をどう楽しいと幸せと感じるかは、自由に感じたままでいいんです。
あなたは何をしている時に幸せを感じますか?
それを共有する人がいる時、感じた幸せに変化はありますか?
あなたが感じる幸せとは何かを考えてみましょう。
幸せの形を押し付けない
怖いことは、幸せの形に制限をかけようとする考えです。
こうでなければ間違いだ。こうしなければ幸せとはいえない。という形を重んじる考えでは、本当の幸せにはなれません。
例えば、いい男・女になれば、幸せになれる。という幸せの形があったとします。いい男・女になる為に、外見を磨き、知識を蓄え、知性的で美しい理想像に近付く努力をします。時間はかかっても努力を重ねた結果、理想像に近いいい男・女になった時、果たして求めていた幸せになれていると思いますか?
間違いは最初からありました。『こうなれば幸せになれる』という思い込みの幸せの形を目標にしていることです。
自分が変われば周りから幸せがもたらされる。そう考えている時点で、幸せにはなれません。
確かに自分が変わることで、周りにも変化を与えることは可能です。けれど、自分が変化したご褒美として幸せを与えてくれる人はいません。
100m走を走ったご褒美にジュースを買ってもらうことはできても、それはその場だけの満足で終わり。求めている幸せとは違うものですよね。「頑張ったんだから幸せにして」と言っても、周囲の人達からしてみれば勝手な言い分でしかありません。
こうしたら幸せになれる、という形を追い求めても、決して幸せにはなれない。それどころか、幸せを一緒に感じてくれる人達さえもいなくなってしまいます。形ばかりを追い求めることは簡単ですが、そこには大切な中身=幸せが無いことに気が付いてください。
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