人は会話を止めることができません。どんな場所にあっても、囁き声でもいいから隣にいる誰かとお話がしたくなります。
それはなぜだと思いますか?
目次
会話=承認欲求
誰かと話している時、どんな事を話していますか?自分のコンプレックスを笑い話にしてみたり、得意なことや成功した体験談を自信げに話してみたり、周りで起きた出来事を面白おかしく話してみたり。色々な事を私達は日々誰かと話しています。
その中で、会話の主導権を握れる時間はどれだけあるでしょうか?
会話の主導権とは、自分が話している時間です。自分が話している間は、他の人達は聞いてくれています。しかし、まだ話が終わっていないのに、「それなら私も」という風に、話を持って行ってしまう人がいますね。話の主導権は、持って行かれた瞬間にあなたからその人に移ります。
どうして人の話を最後まで聞いていられないのか。静かにしていなければならない場所でも話そうとしてしまうのか。
それは、会話が承認欲求を満たしているからです。
承認欲求は、自分が周囲から認められたいという欲求です。外見の良さを、センスの良さを、行動の良さを、自身の存在を認めてほしいと常に思っています。
会話は、その承認欲求を満たすひとつの手段であり、とても身近な手段です。だから人は、会話することを止めることが難しいのですよね。
人は、どうして話すことを止められないのでしょうか?その根本的な3つの理由をご紹介します。これを聞いたら、誰かに話すのがもっと楽しく、誰かの話を聴くのがもっと慎重になるかもしれません。
1.共感してもらいたい
ただ話を聞いてもらうだけでは、承認欲求は満たされません。承認欲求を十分に満たすには、話を聞いている人達からの共感がなければ満たされないのです。
共感は、話を聞いて「自分も同じ気持ち」と言ってもらえること。会話の中で、周囲の人から共感をもらうと心が満たされたように感じませんか?
共感は、認めてもらえている、受け入れてもらえていると感じられるので、承認欲求のほかに所属や愛情の欲求なども満たされます。
ただ話を聞いてもらえる。それだけのことなのに、人にとってはとても大切な行為だということがわかります。
2.苦しみの解放
会話は楽しいものばかりではありません。苦しみを吐き出したり、辛さを訴えたりもします。口にするのも辛い言葉をようやく形にして、誰かに伝えようとする会話もあります。
そんな会話も、共感してもらえると心が軽くなりますよね。自分が苦しいと思っていることは、苦しいと思ってもいいことなんだ、と認めてもらえるから、苦しさや辛さを吐き出す会話は、それらから解放される癒しの効果があります。
話したことで何が変わるわけでもないけれど、話して共感してもらえることで、確実に心は軽くなり、視界が晴れます。そうなることで、人は苦しさや辛さに立ち向かう力を得られるのかもしれません。
3.求めているのは温もり
人は会話の中で共感を求め、そして承認欲求や所属・愛情の欲求を満たしています。それらは言い換えれば、温もりを求めています。
誰かが自分と同じことを感じ、考えている安心感。
共同体にいるという所属の充足感。
自分の話を聴く為に時間を割いてくれる自己犠牲の行動。
人は、自分の為に誰かが何かをしてくれる、示してくれることが、誰かがくれる温もりです。
会話は人との繋がり
会話は、自分ひとりでは成立しません。鏡の中の自分に向かって話しても、共感も所属の充足感も何も帰ってはこないからです。自分と誰かがいて、初めて会話をすることができます。自分に向けてくれる聴くという態度、話を聴いてくれる為の時間、温もりをくれる人達は、とても貴重な存在だといえますよね。
会話することで人との繋がりを感じ、それを大切にしたいと思う。だからこそ、人は誰かと話したくて仕方がない生き物なんです。
これから誰かと話す機会があれば、そのことを思い出してください。ただ出来事を話しているのではなく、あなたと繋がりを感じたいから話していることを。
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