周りの大人たちから、「若い頃の苦労は買ってでもするもの」と言われ、イラっとしたことはありませんか?
無駄な苦労なんて誰だって避けたいはずなのに、若い人達には苦労をしろという。とてもおかしな文化ですよね。
この『若い頃の苦労』という意味を、はき違えていませんか?
目次
若い頃の苦労は買ってでもするべき文化が生まれた背景
昔から「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言われていました。今でもその言葉を強く信じ、若い人達に無駄な苦労や行き過ぎたストレスをかける大人たちが目につきます。
どうして、そんな事を言うんでしょうか?
どうして、若い人達に苦労をさせたいんでしょうか?
その背景となるのは、今の大人たちが若い世代だった頃の時代背景にあります。
今とは違い、以前は年功序列が浸透していました。その頃は年配の人が言うことは絶対。能力の差や有無に関わらず、年が上であるというだけで立場は上です。だからこそ頭が上がらない、上げられない存在といえます。それはまさに目の上のたんぶですよね。
自分たちが踏みつけられた若い頃には、「大人になったら脱出できる」と考えていたのではないでしょうか。そうして、いざ大人になってみたら時代は変わっていくものの、自分の中にいる『不遇の若い時代』は消えていません。むしろ、そんな不遇の時代を耐え抜いた自分こそが正しい、偉いと感じています。
自分が正しいと感じたことは、誰かに教えたくなるものですね。
苦労はしたけれど、あの苦労をしたから今があると信じている大人は、自分が苦労した年齢と同じ若い人達に向けて、あの頃に向けられてきた厳しさを押し付けます。時にはあえて理不尽な態度をとることも。
けれど、こんな風にして苦労だけを押し付けられて、人は成長するものとは限りませんよね。
本当に苦労は買ってでもするべきものだと思いますか?
この言葉の意味を、間違えていると思いませんか?
『苦労』の正しい意味は?
私は、この言葉の意味は言葉通りではないと考えています。
「苦労は買ってでもしろ」その意味は、次のような意味なんじゃないかと考えています。
『若い頃はなんでも吸収できる柔軟性がある。だから、色んなことに挑戦して、失敗して、どうやったら成長できるかを学んだほうがいい。学びの期間は、苦労の連続になる。その時期を耐える忍耐力、やり方を変える思考の柔軟性を身に着けていけば、大人になった時に役に立つ』
学ぶことは、新しい知識や経験に触れられて楽しいと思う反面、なかなか前に進めない辛い時期でもありますね。新しいことは簡単に覚えられないし、一朝一夕には身に着きません。何度も覚えようと繰り返し勉強して、練習して、その時期を苦労と呼ぶならそうでしょう。
苦労の多さを、真剣さや熱意や愛情だと勘違いしている人達は、手間を抜いて効率化することを批判します。「それじゃあ意味がない」と言います。
けれど、昔よりも科学が発展して、面倒でしかなったことが楽にできるようになることは、いけないことではないはずです。それどころか、無駄を省いたおかげで、本当にやりたいことに向き合う時間を増やせるようになってきています。
そんな時代に、「(無駄に体力と気力を削るだけの)苦労を買ってでもしろ」という人達は、苦労を美化しすぎています。
自分の若い頃の苦労と照らし合わせてみると、今の若い世代は苦労がなくていいなという風に見えるでしょう。苦労してこそ一人前といわれた時代を過ごしてきた自分のあの頃は何のためだったのかと、やり場のない思いを抱え、それが妬みや羨望に変わってしまうんです。
だから、若い人たちにより厳しく辛くあたってしまい、それを正当化するように「若い頃の苦労は買ってでもするべき」と呪文のように唱えているんじゃないでしょうか。
積極的に楽していこう
若い世代の人達も大人になった人達も、今という時代を生きています。発展し、変化した文化のメリットを受け取れるのは、なにも若い世代の人達だけではありません。誰にだって平等に楽する権利があるんです。そして、成長する機会も年齢に関係なくありますよね。
使えば楽になるとわかっている電化製品やサービスは、どんどん使っていいし、無駄な人付き合いやゴマすりを止めて、自分を豊かにするために時間をつくるのは、良いことです。どんどん楽をしていきましょう。
楽をした分、まともな大人になれない、なんてことはありません。楽をしても、学ぶ辛さや成長の苦しさが経験できていれば、あなたの糧になっています。
楽をしていきましょう。楽するほど、あなたが人生と向き合う時間が増えます。それは、きっと大切な時間となるはずです。
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