仮面は必要?素の自分だけでは対人関係は築けない

人は、人と接する為に『仮面』を被っています。
それは、人を傷つけてしまわないように、余計な衝突を生まない為、そして自分自身を守るという目的があるからです。

けれど、仮面を被り続ける生き方では、苦しさを感じていませんか?
ならば、仮面を外した生き方をすれば、楽になれるのでしょうか?

目次

 

素の自分と仮面の自分

仮面の写真

人は外部からの衝突を避けるために、仮面を付けて生きています。特定の人やコミュニティの前で、性格が変わったように感じることはありませんか?または、そういう人を見たことはありませんか?
それが『仮面』です。

仮面とは、所属するコミュニティや特定の人の前で最適とされる役割を演じようすることです。
例えば、『いい子』の仮面を被った人は、その仮面を被らなければならないと思った場面では、常に『いい子』を演じ、その枠からはみ出せません。

仮面を被った状態では、ほとんどの人が「素の自分とは全く違う」と感じています。本来の自分ではない自分という仮面を被らなければならない生き方は、とんでもない忍耐を要求されるだろうことは容易に想像できます。

しかし、人は仮面を外し、素の自分で常にいようとはしません。それは、社会に属する為、安定した生活を送る為、人との繋がりを保つ為などの様々な理由から、仮面をつけざるを得ない選択をしているのです。

あなたにも覚えはありませんか?
「こんな自分は自分らしくない。こんな生活、やめてしまいたい」

素の自分、自分らしい自分とは全く違う仮面を被り続けていると感じれば、仮面を被っている時間は苦痛でしかありません。
けれど、本当に素の自分には無い一面なのでしょうか?

 

仮面も『素』のひとつ

ガラス窓の写真

仮面は演じる場面に応じた役割を演じることです。
役割を演じようとするならば、それに必要な要素が自分の中になければ、想像できなければ演じること、つまり仮面を被ることはできませんよね。

例えば、非凡な才能を持った特出した天才の仮面を被らなければならない場面になった時、あなたはその仮面を被ることができますか?

想像できることは、行動を起こせる範囲内であるということ。
それはつまり、自分の中に演じようとする仮面の要素があるということではないでしょうか。

素の自分ではない仮面を被っていたとしても、その要素は自分の中にも存在しています。
割合は多くはなくても、自分の中に存在している仮面ならば、それは『素の自分の中のひとつ』ですよね。

仮面を被り、役割を演じることを苦痛に思うかもしれませんが、本当に苦痛なのは、仮面を被ることではないはずです。
仮面を被り、役割を演じ、自分の意見を封じてしまったことが、何よりも苦痛なのではないですか?

 

全てを選んでいるのは自分自身

花の写真

仮面を被らずに生きていけたら。そんな生き方は自由で何にも縛られない、最高の人生だと思いますか?
それはそれで、苦悩を強いられる生き方になると思いますよ。なぜなら、人は、素の自分を見られることに恐怖を覚えるからです。

素の自分とは、無防備な状態の自分です。ひどい攻撃を受ければ、一撃で瀕死に陥ってしまうかもしれませんね。だからこそ、初対面の人や注意が必要な人に対しては、人は仮面を被って自己防衛しています。
自分自身を、心を守るために仮面を被り、人との間に壁をつくった経験はありませんか?

重要なのは、仮面を被らなくてもいい生き方をすることではありません。
いつ仮面を外すか、いつ仮面を被るかを自分で選べるような生き方です。

仮面は、自分を守る為にも被っています。仮面のない生き方は、一見すれば自由かもしれませんが、その自由の中には仮面を被れば守れたかもしれない危険に晒されるということでもあるのです。
危険に晒される可能性は、できる限り低くあってほしいものですよね。

考えてみてください。
仮面と素。そのバランスをどうとるか。
必要な時に仮面を付け、息をつく時には仮面を外す。
その選択が自分の意のままであれば、楽に生きられると思いませんか?

自分を楽に。生きることを楽に。
楽しい時間を人生に増やしていくような思考を、持ってみてください。

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