対人関係で一番やってはいけない考え方って、何だと思いますか?
人によって価値観は違い、同じ物事ひとつをとっても、どう考えるか感じるかは違いますよね。それでも、この考え方だけは決してやってはいけないというものがあります。
目次
『私は正しい。あなたは間違い』はダメ
対人関係で一番やってはいけない考え方は、『正しいか間違いか』を判断しようとして相手を見ることにあります。
話している相手と意見が分かれた時、価値観の違いを感じた時、それが正しいか間違いかと考えた瞬間に思うことは、『この人は自分の敵か味方か』ではないですか?つまり、相手の言動から敵味方を判断しようとしているんです。
もし、相手が自分の考えに沿わない行動をしていた場合、それは間違いと判断されます。そうなると、その瞬間からあなたはその人を敵として、認識してしまうんです。
よくありますよね。列に真っ直ぐ並んでいないのは間違い、咳エチケットを守らないのは間違いという風に、世間的な常識であるかのように、自分の正義を『正しい』と考えてしまうこと。もちろん中には正しいと捉えられることもあるでしょう。けれど、それはあなた側から見える一部分だけの情報から抜き出した場面でのみ判断できた結果です。
さらに興味深いのは、この考え方は最初は『自分だけが正義』となんて考えていないことにあります。「本当ならこうだよね」というような考えが少しずつ積み重なって、いつの間にか『自分だけが正義』という風に思い違いしてしまうんです。そこが怖いところです。
1.戦争・ケンカと同じ考え
どうして『正しいか間違いか』の考え方を持つことが、対人関係上では決してやってはいけないんだと思いますか?正しいか間違いかなんて、ルールに照らし合わせてみれば誰だって同じ答えに行き着くはずと思うかもしれませんが、この考え方はケンカや戦争と同じ考え方だとしたら、同じように考えられますか?
ケンカも戦争も、『自分が正義である』と疑いのない確信から始まります。自分の正義を貫く為といえば聞こえはいいですが、つまりは自分の正義の為に周りを滅ぼすという意味です。
どんな状況であるかは様々ですが、日常的な場面において、相手を完膚なきまでに叩き潰すかのような姿勢で人と接して、それで自分の正義を貫いても、その先にメリットはあるでしょうか?
戦争の歴史を見てみれば、深い因縁を刻み込み、仲違いする以外の道が選べなくなってしまうのは誰の目にも明らかです。
2.正論ばかりは敬遠される
『正しいか間違いか』という考え方は、ルールに厳しい人ほど持ちやすい特徴もあります。ルールに厳しいということは、少しの間違いも許せないということ。どこにも緩さがないと、窮屈ですよね。
実は、正論ばかりを言い続けていれば、簡単に人に嫌われます。正論は守るべき基本的な規則やルールであり、合理的な方法であったりするかもしれませんが、どんな状況においても正論ばかりが優先されるわけではありませんよね。
正論だけを信じ込んでいると、相手の状況や背景に何があるのかまで考えが及びません。自分は正しいと信じ込んで相手に正論をぶつけてしまった後に、相手から「実は~だから」と事情を教えてもらっても、時すでに遅しです。
受け入れる柔軟性を持つ
『正しいか間違いか』その考えを持っていると、周り中があなたの敵になってしまいます。周り中を敵にしてしまえば、あなたの日常はどうなるでしょうか?いつでも敵ばかり。気を抜いている暇なんてないかもしれません。そうなれば、平穏なんてどこにもなくなってしまうのは、簡単に想像できますよね。
では、対人関係ではどういう考えを持っていればいいのか。それは、『相手には相手の考えがある』という柔軟性を持つことです。
自分以外の誰かと、全てを分かり合うのは無理です。(参考記事はこちら【全てを分かり合うのは不可能。人と同じ考えにならなくていい】)
分かり合うことはできなくていい。けれど反対はしない。それが対人関係で有効な考え方です。
誰かから否定されたり反論されたりしたら、嫌な気持ちがしますよね。自分には自分なりに考えて出した答えがあるのに、それを否定も反論もされたくはありません。
だからこそ、人にはしてはいけないんです。
人には人の考えがある。それは自分とは少し違うかもしれない。ただそれだけのことです。一緒にいる人ほど、同じであってほしいと願ってしまうものですが、どれだけ親密な関係の人であっても、人は人だということを忘れずにいてください。
決して、あなたと同じではない部分があります。それはそういうものなんだと受け入れる柔軟性を失えば、あなたの周りから味方は消えてなくなってしまいます。
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