選択することを恐れていませんか?それは、失敗や間違いを犯したくないからでしょう。けれど、失敗を恐れるあまりに選択から逃げ続ける方が、人生を自分らしさを放棄することになってしまっても、それでも選択から逃げたいですか?
目次
人生の選択に正解・不正解は無い
勉強で仕事で、人生で「正解を選ばないといけない」そんな思い込みをしていませんか?
果たして、人生の選択に正解はあるのでしょうか?
多くの人がこの思い込みに苦しんでいますが、目の前に開けている自由に手を伸ばそうとしません。それは、思い込みが心に強く根付いているからなのでしょう。
今回は、『正解を選ばないといけない』思い込みが、自分にどれだけ悪影響を与えるかを考えてみましょう。
人生とは、選択の連続です。何かを選ぶか選ばないか。その選択肢は目に見えているものもあれば、認識できていないものもあります。
けれど、たった一つだけ明確なボーダーラインを決めていませんか?
「正解を選ばないと人生が終わる」
選択の結果は、大きく分けるとすれば二つあると考える人がほとんどです。正解か不正解か、言い換えるなら成功か失敗か。
しかし、人の心はそれほど単純ではありませんし、人生もそれほど単純ではありませんよね。物語のように、たった一つの視点から見れば、甲乙をつけることができるかもしれませんが、視点が少し変わるだけで、結果はガラリと変わります。
正解し続けなければ人生が終わってしまうと思い込んでいれば、失敗を恐れるあまりに何も選ぶことができなくなるでしょう。
失敗=死だと思っているからです。
では、選択をしないで生き続けるとどうなると思いますか?
困った時に何も選ばない。それは現状のまま耐え続けることを意味します。
結果が大きく分かれる人生の岐路で何も選ばない。それは何も始まらない人生になることを意味します。
好きなことから遠ざかり、嫌なことから逃げられない。そんな人生を歩み続けることが、何かを選択するよりも怖いことでしょうか?
選択することは怖いことではありませんよ。結果が思ったようにならなくても、自分がやりたいことを選んだ人生の方が、自分らしく生きられると思いませんか?
自分らしく生きる。言葉では簡単ですが、行動に移すのは勇気が入りますよね。
だから、選択する勇気を持つことから初めてみませんか?
1.「間違ってはいけない」思い込みを手放そう
人生における選択でも、日常の些細な選択でも、『間違い』なんてあるのでしょうか?
そもそも間違いとは、道徳的ではない行いのことを示す言葉ですが、人生の選択で道徳的ではないとわかっていれば、選択肢にもあがらないのではないでしょうか。
そうであれば、目の前にある選択肢の中からどれを選ぼうとも、それは『間違いではない』です。
間違ってはいけないという思い込みは、こんな風に解釈される言葉です。
「周りの人達と足並みを揃えて、同じになるように平均のちょうど真ん中でいられるように、周りから飛び出さないような選択をしなければならない」
言い換えると、あまりにもおかしいということがよくわかります。どうして、周りに合わせなければならないのでしょうか?どうして、周りと同じでなければならないのでしょうか?
自分の人生を生きるのに、周りの顔色を窺う必要なんて本来はないはずなのに。
こんな思い込みに縛られたままでは、自由に生きることも、ましてや自分らしく生きることも叶いません。それはただただ息苦しくて、生き辛い人生になってしまうばかりです。
道徳的な行いの範疇であれば、何を選んでも良いのです。
人が選ぼうとする選択肢のほとんどは、道徳的な行いから極端に外れることはありません。
あなたが選ぼうとする道は、どの道を選んでも間違いではありません。
2.失敗で止まらなければ『経験』になる
間違いだった、失敗だったと気が付くのは、結果が出てからです。結果は、現在からは見えません。未来にあるのですから。
では、何を選べば正解かは、誰にもわからないということになりますね。
けれど、一つだけ現在からはっきりわかることがあります。
失敗という結果に辿り着いても歩み続ければ、それは『経験』になるのです。
思ったようにならなかった出来事を失敗と捉えるならば、皿洗い中にお皿を割ってしまったのも失敗、料理中に焼き過ぎてしまったのも失敗です。
しかし、それで掃除や料理をやめはしませんよね。また次の日にもう一度同じミスを繰り返さないように気を付けることができるようになっています。それが成長です。
失敗という経験を前にして、心が怯むことはあるでしょう。後悔や反省をする時間も必要でしょう。けれど、そこで行動し続けることを諦めてしまわなければ、それは『経験』となって成長を促すステップとなってくれます。
本当の意味で「選択を間違えた」というのは、失敗という結果で歩みを止めてしまうことではないでしょうか。
失敗を経験にできたら、失敗しなかったであろう選択よりも多くの経験を積むことができます。同じ失敗に気付きやすくなったり、失敗した人を助けることができたり。
それは、失敗でも間違いでもない選択だと言えるのではないでしょうか。
選んだことの意味は自分で創れる
何を選んでも、選んだことに意味が欲しいなら、後からいくらでも自分で意味付けをすることができます。
例えば、良い結果に結び付かなかった選択をした場合、「あの選択をしたから経験を得ることができた」と考えたら、その選択は間違いにはなりません。
何をどう捉えるか。それは自分が考え、意味を決めるものです。
失敗や間違いを極端に恐れなくても大丈夫です。失敗しても間違っても、それを経験にしていけば、あなたが望む未来に繋がる選択を見極めることができるはずだから。
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