自分の周りにどんな人がいるか。影響を受ける相手によって、居心地の良さは変わります。
ストレスにならない対人関係を見直してみませんか?
目次
この生き辛さの原因は?
「自分がそこにいるだけで辛い…」という風に、ただ生きているだけで特別なことは何もしていないのに、生き辛さを感じてやまない原因には、何となく思い当たる節があるのではないでしょうか?
そう、自分の周りに味方がほとんどいないことです。
味方がいない環境というのは、常に周りから自分のちょっとした言動を攻撃されている環境のことです。
何かすれば、丁寧さがない・だらしない・不器用・もっと上手くやれないのかなど、たくさんの批判を浴びることでしょう。
自分の一挙手一投足に批判が付いたら、息をするのも怖くなりますよね。そんな高ストレス環境に居続けたら、繊細な心はあっという間に傷だらけになり、どうにか生命を維持するために痛みを麻痺させるしかありません。
けれど、鋭い痛みがじわじわと鈍い痛みになって消えたわけではないので、息苦しさや生き辛さという感覚に置き換わります。
あなたが居る環境は、どんな環境ですか?
全く敵がいないというのは難しいですが、全く味方がいないのは良くありません。自分が居る場所のどこにも味方がいないと、安心して逃げ込める場所がなく、心がどんどん追い込まれていってしまいます。
今、生き辛さを感じているなら思考が停止状態にあるため、「他にも居場所は作れる」と言われてもピンとこないかもしれませんね。
けれど、昔よりもはるかに、現代は自分の生き方や生きる場所を選びやすくなっています。
生き辛いまま残りの人生を過ごすよりも、これまでの自分を振り返って変化への一歩を踏み出してみませんか?
とりあえず、自分の環境で次の二つが当てはまるかどうか、チェックしてみましょう。
1.周りの当たり前を『自分の当たり前』にしていない?
個人差があるのは当然と言われているのに、何か行う場ではそれが全く考慮されていないことの方が多いです。未だに昔の価値観で生きている人が多いですよね。
例えば、連続でどれだけ高いパフォーマンスを維持し続けられるかは、人によって違います。集中が長続きする人もいれば、20分が限界という人もいます。そうした周りの人の『当たり前』を自分の当たり前にしてしまうと、「周りは難なく出来ているのに、自分だけが落ちこぼれだ…」なんていう風に、自分を否定してしまいますよね。
人類という同じ種族で、似たような外見をしていても、中身は一人一人が全くの別の個体です。考え方も見え方も、体のつくりも全部が違って当然です。
だから、周りの人の当たり前を自分の当たり前にしなくて大丈夫です。
これは優劣ではなく、単なる個人差です。一人一人顔が違うように、得意不得意が違っているのも当たり前です。周りの人が出来るからといって、自分まで同じになろうと無理をしなくても良いと、自分に言ってあげてくださいね。
2.何にでも否定してくる人が近くにいない?
否定は本当に心を傷つけるひどい言葉です。たとえ受け入れられない意見だったとしても、それを面と向かって否定し拒否する必要なんてありません。その行為は自分を優位に見せたいだけのマウンティングです。
あなたの近くに、そんな人はいませんか?
誰かの意見を否定する行為は、「自分は方が正しい」と相手に認めさせたい、つまり支配したい欲求の現れでしょう。自分の方が優位であると相手にも認めさせ、誰かを踏み台にしなければ自分を保てない可哀想な思考です。
こんな思考の犠牲になることはありません。けれど、否定されたら反論しろというわけではないので、安心してください。
否定してくる人には、無視が一番効果があります。否定の意見を全く取り合わず、会話を成立させなければ、その言葉の刃は相手にそのまま返ります。
無視するのが心苦しい、無視できないという場合には、その場から立ち去って自分を守りましょう。その時、無表情を装ってみてください。相手はそれ以上追いかけてまで声をかけませんから。
環境は周りにいる人によって作られます。一緒にいたいと望む人とだけ親しく付き合い、否定してくる人とは一定の距離を置くのが最善です。心を傷つけてまで関わり合う必要なんて、ありませんよ。
自分のための人生を自分で選ぼう
自分勝手はいけない、我儘を言ってはいけない。誰もが子供の頃にそう教えられてきました。けれど、大人になってみると子供の頃に言われたことをそのまま守っていては、自分を守れません。自分を守るためには、時には自分勝手になり我儘を言わなければなりません。
誰のための人生ですか?
人生の主役は誰ですか?
自分のために生きていきましょう。
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