心を壊す間違った『基準』あなたは誰かの基準に振り回されていない?

自分の状態や状況を、何を使って判断していますか?
誰かの基準?世間の基準?「〜するべき」という固定観念?

間違った『基準』で自分を測れば、決して正解することのできない問題に直面して心が壊れてしまいますよ。

目次

 

間違った『基準』で「自分は失格」と思い込んでいない?

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社会に求められる『人の基準』、世間で必要とされる『人の基準』
人はあらゆる物事にラインを引いて、それ以上でないと自分の存在価値までをゼロにしてしまいます。あなたは、そんな思い込みをしていませんか?

例えば、「人は〜とあるべき」や「〜しないのは普通じゃない」などの固定観念や古いロールモデルによる常識など、人を数値化して測ろうとする『世間の基準』で、自分自身を測ろうとするのは大きな間違いですよ。
特に、間違った基準によって「自分は失格だ」なんて思い込むのは、本当に勿体無いです。

たくさんの人が集まれば、そこには色々な差や平均値が見出されるでしょう。それは人を認識しようとする一つの手段で、人の中に優劣をつけて見下そうとする基準ではありません。ただの『特徴』というだけ。

それでも人は比較するのが好きだから、ついつい他人と自分を比較して「あの人より上だ」と自分を安心させる材料を集めようとしてしまいます。
ただ一点の数値が上か下かで、人の価値にはなんの影響もないことを、そろそろ認識しませんか?
「10個あるうちの9個は負けていても1個が上だから大丈夫」とマウンティングの快楽に浸ろうとしていませんか?

心の毒にしかならない基準や考え方は、早く手放した方が楽になれます。誰かと比べて一喜一憂するよりも、自分と向き合って、自分の生きたいように生きるにはどうしたらいいかを考えた方が、はるかに良い人生を作れます。

社会や他人が作り出した『基準』に当てはめて、自分がそれより優れているか劣っているかを測るのは、もうやめましょう。
そんな比較をしても、あなたの人生にどれほどの影響が与えられるでしょうか?メリットはあるでしょうか?もしかしたら、その基準はあなたの良いところを潰してしまうかもしれません。

間違った基準で自分を測り、落ち込んでしまわない為に。
正しい『自分の基準』を見つけましょう。

 

1.その基準は『誰』の基準?

人の人生は、その人のもの。その人の目標があって、その目標に向かっていく人生を生きる為の『基準』があるでしょうけれど、それは他の誰かに当てはまるものでもないし、当てはめたところで何の意味もないものです。
向かう目標が違うのに、同じ基準では測れませんよね。

例えば、エベレストの登頂を目指しているのに、システムエンジニアのスキルがないからダメだ、なんて比較はしません。
人の基準で自分を測ろうとするのは、これくらい違うものを測ろうとしています。

あなたが自分を測ろうとする時、その『基準』はどこから得た物差しかを考えてみてください。
誰かから聞いた・ニュースでやっていた・本で読んだの内のいずれかならば、それは『他人の基準』です。あなたに当てはまる基準ではない可能性が高いでしょう。

今の自分が良いのか悪いのか。それは、自分が掲げた目標に対して『どういう状況に至っているのか』を知る為のものです。
ならば、計画の進行具合や予定していた内容がどこまで身に付いているかなど、良し悪しを判断する基準は、自分の中にあるはずです。誰かの作った基準で、自分の良し悪しを決める必要はありませんよ。

 

2.比較するのは『過去の自分』

比較する行為全般は、悪いことではありません。メンタルケアの中では『他人と自分との比較』は悪い影響が強いとし、避けるようにお伝えするケースが多いですが、それはやり方を間違えてしまいやすいからです。

人と自分との優劣の差がどれくらいか。他人との比較では、無意識にその気持ちが湧いてしまうケースがほとんどです。それは、マウンティングの快楽を知っているからや今の自分に自信がないから自信を持てる部分を探そうとしているなど様々な理由があげられます。
どんな理由にせよ、やり方の間違った比較では、自分を否定するか人を否定するか、そのどちらかにしか辿り着けません。

だからこそ、比較するのは『過去の自分』だけに留めましょう。

子供の頃よりも大きくなった。走るのが速くなった。一人で出来ることが増えたなど、比較するのは常に過去の自分自身です。
もし目標を掲げていた場合は、どこまで成長しているか、目標にどこまで近づいているかを知ることができるでしょう。成長できていなくても、過去と比較することでプラトー現象(停滞期)が起きているか、後どれくらいで抜け出せそうかを知る手がかりにもなります。

プラトー現象(停滞期)については、こちらの記事でも触れています。参考にご覧ください。
『自分を変える』には順番が大事!いきなり変わるのは誰にもできない

未来には理想を置いて、過去の記録は『今の自分』を知る手がかり。
自分の良し悪しを判断する基準は、ここにあれば十分です。

 

3.『存在価値』に基準はない

自分の良し悪しは、目標に対する進行具合や成長を見極める為に『基準』を用いて測りますが、人が生来持つ『存在価値』には、どんな基準も当てはまりません。
人は『生きている』ただそれだけで価値ある生き物です。

人の基準で自分を比較してしまう人に多い間違いが、「自分自身が存在していて価値がある人間かどうか」を知る手がかりとしてしまう点にあります。
しかし、存在価値とは『命』そのもののこと。それに対して良し悪しなどがあるものでしょうか?
もし、良し悪しがあるとすれば、生きていて良い人と生きているだけで害悪となる人が存在することを認めることになりますが、あなたは本当にそう思いますか?

存在価値は、なんらかの基準によって測られるものではないと私は考え、心からそう思っています。
誰にでも存在価値は生まれた時からあるものです。それを否定する基準なんて、作れるわけがありません。

『自分自身の生きる価値』それを誰かの基準で判断してしまわないでください。
『生きている』それだけで誰にでも価値があります。

 

世間の固定観念に『自分』を押し込まないで

地球と宇宙の間の写真

世界中で戦争をしていた時代や多くの国で奴隷がいた時代に比べれば、今の世界は多くの人に生き方の選択肢がたくさん与えられていると言っても良いですね。
働き方、人との付き合い方、住む場所、食べる物。なんでも多くの選択肢の中から、自分の好きなものを選べるようになってきました。

しかし、そんな世界に生きていても、まだ人の心には昔のままの固定観念や思い込みで支配されている部分が多々あります。
自分を測る世間の基準は、そんなものの一つです。

少人数のグループで生きてきた人は、より多くの人の集団を作り、国を作り、より多くの人と瞬時に繋がれるネットワークを作り上げてきました。
人には、まだまだ可能性が秘められています。その可能性を古い固定観念で押し潰してしまわないでください。

あなたには、たくさんの可能性と選択肢があることを思い出してください。
古い固定観念は手放しましょう。早く手放せば、楽に生きる道も早くに見つけられるでしょう。

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