曖昧を無くしたい。人の心理が明確な区別を望んでいる理由

人は様々なものを二極化して区別しています。善悪、優劣、敵味方などはその最たるものではないでしょうか。世界を、必ずしもどちらかに区別しなければならないわけではないのに、どうして明確に区別したいと望んでしまうのでしょうか?

目次

 

区別したい理由

竹林の中の分かれ道の写真

人が物事を区別するのは、自分がどちらかといえば、良い方でありたいという希望の現れです。つまり、『自分は良い。優良。正しい』という明確なお墨付きが欲しくて、自分とは違って悪とされる対象を見つけ、区別したがっています。
人は単純な生き物ではない、とは頭ではわかっているものの、心では簡単には受け入れられないものですよね。だからこそ、人は不安から物事を区別せずにはいられないんです。

例えば、こんな風に。
たった一度の罪を犯したこともない人のことを、誰もが善人と呼ぶでしょう。けれど、長い人生の中で一度も罪を犯したことがないとは言えません。それでは、自分が悪人になってしまいます。それはとても怖いことです。誰かに「悪人だ」と指さされでもしたらと思うと、怖くて怖くて外も歩けません。
では、自分よりももっと悪い人はいないのでしょうか?

列に並ばず、割込みをしている人がいた。悪い人だ。
今度は列から横にずれて並んでいる人がいた。真っ直ぐに並べないなんて悪い人だ。
列には並んでいるのに、前の人からだいぶ間が空いてしまった。適度な間隔で並べないなんて悪い人だ。

こんな風に、自分を『良い』とした場合に悪い人はどんどん量産されていきます。そして、悪いと決めつけた分だけ、自分には『良い』がもらえています。

 

自分が『良い方』でありたい願望

トンボ玉の写真

人は、行動や言動に『悪』を定め、それに該当する誰かを悪人に仕立て上げ、そうではない自分を善人だと考えようとします。
先程のたとえ話がまさにそうですよね。ルールに違反する人は悪い人だという風に考えます。それが、とても小さなマイナールールであっても、ルールが存在するなら知っていて当たり前で、それに違反する方が間違っているという風に。
けれど、人の行動も言動もどちらかに区別できるほど単純ではありません。

ただ自分が『良い』と判断する為だけに、誰かを悪い人に仕立て上げてしまっていいのでしょうか?もしそう思われるなら、ぜひ試してみてほしい方法があります。それは、区別しない思考になる方法です。

 

区別しない思考になろう

物事を区別する癖が付いている人は、外を歩いているだけでも人の嫌なところや悪いところが目に付きます。そういったものが目に入ると、無意識に「あれはダメ。あれは良し」という風に判定してしまいます。
そこで試してほしい方法は次の2つです。

1つは区別する基準そのものを変えます。もう1つは考えてしまった後に訂正を促します。
あなたの区別する思考を変えてみてください。世界がもっと違う風に感じられるようになるかもしれませんよ。

 

1.みんな違っていいと考える

人が物事を区別する基準は、自分の価値観に従います。価値観は、【価値観を育てるメリット】で書いたように、自分の経験などから出来ています。
基準を今すぐに変えるのは難しいですが、徐々には変えられます。

その最初の一歩はこう考えてみてください。
「みんな違っていい」

人は誰一人として同じ人はいません。生まれた環境、育ってきた場所、経験したこと、感じたこと、全てが違います。例え同じ環境に生まれて育ってきたとしても、経験や感じ方まで同じにはなれません。
どんなに同じになろうとしても違うのですから、小さなルールのひとつやふたつ、守れないこともあるとは思えませんか?

人の行動を見て、区別しそうになったら、考えてみてください。「人と自分は違うものだから」と。そう考えると、善悪という二極化した区別をあえて付けようとは思わなくなってくるはずです。

 

2.別の側面を想像する

1の考えが慣れてきたら、2の方法はもっと上手くなります。
2では想像力が鍵です。

物事の区別をしようとする場面を見つけたら、ぜひ考えてみてください。あなたが今、区別しようとした立場とは真逆の立場からの行動の理由や考えを。想像力を働かせてみてください。どうして?と質問を投げかけてみてください。そうすると、思いがけない一面が見えてきます。

例えば、列に割り込んだ人がいた場面なら、列に割り込んで並ぼうとしたわけではなく、コンタクトレンズがずれて目が痛くて立ち止まってしまったのかもしれません。何の行列かを聞いているだけかもしれません。
真逆からの想像を膨らませると、どちらが良いか悪いかなんて区別は付けることができなくなっていきます。

 

無理に区別しなくてもいい

ピンクのコスモスの花畑の写真

最初の項目で書いたように、区別したいのは安心したいから、あやふやな状態の不安を脱したいからという願望が、物事の区別を明確にしようとさせていました。
けれど、人は単純ではないし、物事の見方を変えるだけで区別した善悪や優劣は簡単に逆転してしまいます。そんなあやふやで不安定な世界で、私達は生きているんです。

あやふやでいることで不安があるのが、自分自身があやふやだと感じているから。安定した何かにしがみついていたい気持ちはよくわかります。不安定な時ほど、頑丈な木や石に掴まっていたいですよね。
けれど、もう知っているはずです。それは本当の解決にはならないことを。

必ず唯一の答えを出さなければならないということはありません。答えが不明確で不明瞭で、よくわからないけれど、わからないままでいいか。そう思っていいということを知ってください。

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