自分を幸せにする方法を知っていますか?
自分を不幸にする方法を知っていますか?
どちらもとても簡単で、特に不幸になる方法はよくある日常の行為にあります。
目次
人が陥る不幸の罠!
人は自分が不幸だと感じると、つい同じ不幸を誰かに押し付けたくなります。そして、相手が自分と同じ不幸で苦しんでいるのをみて不幸を和らげようとしていませんか?
けれど、その方法では不幸はより深くなるだけで、あなたを含め誰も幸せにはなれません。
誰かを自分と同じ不幸を味合わせるという目標が達成された瞬間は、快楽や達成感で満たされますが、それは一時的な快楽でしかなく、ふと我に返った瞬間に虚しさや罪悪感を抱き、改めて自分が不幸だという現実を見つけるだけです。
不幸のどん底へと自分自身を追いやる憎しみや妬みは、早々に手放しませんか?
その気持ちをいくら大切に抱えていても、あなたは幸せにはなれません。それどころか、どんどん底なしの不幸へと深みにはまっていってしまいます。
幸せの総量は決まっていて、全人類で取り合っているわけではありません。
その人その人が感じる幸せは、個々それぞれに存在し、ただ見つけられずにいるだけです。
人の幸せを見つけると、つい「羨ましい。自分は持っていないのに」と妬みや憎しみの気持ちを募らせてしまいますが、自分自身が持っているものに目を向けているでしょうか?
きちんと自分に目を向けられたら、自分が不幸ではないことがわかるはずです。
今回は、幸せに気付くための三つの思考をご紹介します。
どうか憎しみや妬みの連鎖から、抜け出せますように。
1.人は生まれつき不平等
人は平等とよく言いますが、残念ながら平等ではない現実ばかりを目にしていますよね。全ての人が同じではないことは、生まれながらに誰もがわかっていながら、受け入れられていない事実なのかもしれません。
人は不平等です。顔も違えば、生まれた環境も、持てる能力も全てが違っています。似ている人同士は何人かいたとしても、その中でも完全に一致する人は一人もいません。誰もが違って、それが個性と言われていますね。
しかし、その差を感じる時こそ、不幸を感じる瞬間でもあります。
相手は持っていて、自分は持っていない。
そう気が付いた瞬間、相手のことを憎らしく思ったことはありませんか?
生まれ持った環境が違うというそれだけで、自分が欲しているもの全てを手に入れている人がいると思うだけで、腹立たしく思うでしょう。
けれど、他の誰かにとってのあなたが、まさにそんな存在だと考えたことはありますか?
人は不平等です。欲しい能力や環境に恵まれるとは限りません。
ただし、自分ばかりが損をしているのではなく、他の誰もが同じように不足している部分を抱えて生きています。
ある意味では、それこそが平等なのかもしれませんね。
2.苦労は人の数だけある
辛い思いをしていると、ふと自分ばかりが誰よりも辛いことを経験しているかのように思える瞬間があります。辛い時間が長ければ長いほど、誰からも哀れまれるほど辛い経験をしているほど、自分だけが苦労しているのだと思い込んでしまいます。
けれど、苦労とは人の数だけあるのです。
何を辛いと感じるか、何が苦しいと感じるか。それは人によって違うでしょうし、その程度も人によって天地ほどの開きがあることもあります。
そういう『苦労』を一括りにして測る意味は、全くありません。
苦労していたなら、その苦労があなたの糧になるでしょう。糧となるような人生にしていけばいい。そうなる道を選べばいいのです。
けれど、憎しみや妬みに駆られてしまうと、自分と同じように苦労させてやりたいと、復讐のような行動に走ってしまいます。
自分の苦労は、周りの人には関係ありません。
苦労の量や質を、誰かと比べて勝負する意味もありません。
苦労してきた経験を、人生に活用するかどうか。それだけです。
3.自分が『持っているもの』の中に幸せがある
人は自分自身のことが一番気になるものですが、自分を知るには、人を見る時も必要です。誰かと比べて自分はどんな状態にあるのか、人とどういうところが違うのか。
けれど、そうやって人のことばかりに意識を向けていると、自分が持っているものを見失ってしまいやすいことに気が付いていますか?
人は、人のことほど『良く』見えてしまいます。
事実がどうであれ、良く見えれば羨ましくなり、妬みへと繋がり、自分は不幸だと思い込んでしまう負の連鎖が始まるのです。
本当に目を向けるべきなのは、『自分が持っているもの』です。
自分が幸せになるには、人が何を持っていようとも関係はありません。
大切なのは、自分が幸せであるかどうかです。
あなたが手にしているもの、恵まれているものは何でしょうか?
改めて、自分が持っているものに目を向け直してみてください。
目を向ける方向が逆転するだけで見えなかった幸せを見つけられる
憎しみや妬みの気持ちは、誰かにぶつけると快感を得ますが、一時的な快感を得るだけで幸せにはなれません。それどこどか、その気持ちに取り憑かれてしまうと幸せからは遠ざかっていきます。
幸せとは、気付きにくいほど小さいものなのかもしれませんね。
自分と人を比べて見える表面的な部分ではなく、人が持っているものではなく、あって当たり前と思っていたものや自分にあって人にないものが、幸せと言えるものではないでしょうか。
目を向ける方向を変えてみてください。
きっと今まで見えていなかった幸せが、見えてくるはずです。
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