相手を気遣って、何かしらの援助をしたら、その相手が何かしらの見返りを用意してくれることがあります。けれど、その見返りが満足するものではなかったり、そもそも何の見返りもなかったり。そういう時に、気を遣った自分の行動に虚しさを感じますよね。
この虚しさはどうして感じてしまうのでしょうか。
目次
気を遣って虚しくなる原因
気を遣う行為の根本には、自己満足や自分を守る手段のひとつである場合があります。
誰かに気を遣う時、何を考えているか根元まで考えてみたことはありますか?気を遣う行為の根元まで考え抜いてみると、そこにあるのは『自分を守りたい』という意識が見つかります。
自分を守りたいのに人に気を遣うのはなぜか?それは、その人が自分にとって影響力のある人だからです。こう聞くと、気を遣う行為が純粋な善意ではないように聞こえてしまいますね。
人は誰しも、自分が一番好きな生き物です。本能で誰よりもまず自分自身を守ろうとしています。その意識は変えようがありませんし、変える必要のないものだから安心してください。
虚しくならない為にすることは?
だからといって、虚しさが増すような出来事は増えてほしくありませんよね。善意や優しさという気持ちが、気を遣おうという行動を起こす原因のひとつであることは確かです。打算だけで行動しているわけではありません。
では、気を遣って虚しくなってしまう時、どうしたらいいのか?その対処法をご紹介します。
1.その行為を忘れる
気を遣ったあと、しばらくは良い気分に浸れますよね。「良い事をしたな」や「感謝されて嬉しいな」という風に。けれど、その気持ちをいつまでも持っておくと、しばらくすると虚しさに変わります。
「気を遣ってあげたのに、ちゃんとしたお礼がない」や「軽く、ありがとう、と言われただけで済ますなんてひどい」という風に、気持ちが変化していってしまいます。
それは、あなたがこんな価値観を持っているからです。気を遣ってあげた人に対して、丁重に感謝を述べて、そのお礼に同等の行為をしなければならないという価値観です。
けれど、価値観は人それぞれ違います。あなたが気を遣った行為に満足するところまではいいのですが、その気持ちを毎日思い起こして、見返りを待つ気持ちに変化させてしまってはいけません。
気を遣ったこと自体を忘れてしまいましょう。その方が、良い事をしたという満足感だけが残ります。
2.気を遣った本当の理由を考える
気を遣う時、根元の部分では自分を守りたいからという意識が働いています。気を遣って行動した時、あなたの本当の気持ちはどんなものだったのかを、深く考えてみてください。
例えば、いつも優しくしてくれる職場の先輩が困っていたから、手を貸したという場面ではどうでしょうか。
いつも優しい先輩が困っている。
助けた方がいいかな?いつも優しくしてもらってる恩返しをしたいな。
『優しさの恩返し』→『また優しくしてもらえるかもしれない』→『優しくしてもらいたいから気を遣ってみる』
気を遣う行為の根元にあるのは、悪く言えば打算、良く言えば身を守る本能とも言えますね。それを知ると、見返りを求めようという気が薄れます。自分も自分に都合のいいように動いただけだとわかったから。
3.期待しない
見返りがあるかもしれないと思うから、虚しさが生まれます。善意のキャッチボール、やってもらったらやってあげるのが当たり前というような固定観念を捨てましょう。
他人への期待は、何も生み出しません。特に「何かしてもらえるかも?」という期待ほど、叶わなかった時の反動が大きくなり、勝手に相手を嫌いになってしてしまいかねません。
(他人に期待しないについては、詳しくはこちらの記事をどうぞ【他人に期待しないと笑顔が増える】)
虚しさを生み出す元を断つ
あなたの善意や優しさという気持ちが、周囲に気を遣った行動を起こさせます。けれど、その根元の部分には自己中心的な意識があることも、覚えておいてください。
だからといって、気を遣うことが悪いことではありません。人に気を遣えるというのは素晴らしいと思います。周りを見る眼があって、行動を起こせる人間であったことは言うまでもない素晴らしいことです。
せっかくの素晴らしい行為に、水を差してしまうのは止めましょう。虚しくなるのは、見返りを求めようとするから、それが当たり前と思う価値観があるから、他人に期待してしまうからです。その気持ちを断てば、あなたの素晴らしい行為は素晴らしいままの記憶として残ります。その記憶は、また次の原動力として蓄えられます。
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