人の悩み事・問題まで、自分のものとして抱え込んでいませんか?
自分と人の問題を分離できていないと、悩みはどんどん膨れ上がっていくばかりです。
目次
誰かの問題まで『自分の問題』にしていない?
悩みが多すぎて、何から手をつけていいか困っていませんか?
もしかしたら、抱えている悩みや問題のいくつかは、あなた自身の問題ではないかもしれませんよ。
人は、身を寄せ合い、補い合いながら生活を送っています。あまりにも人との距離が近くなりすぎると、相手の悩みや問題を自分のものとして捉えてしまうことがあるのです。
そうなると、困ったことになりますね。
問題を解く鍵は、相手が有しています。しかし、それに気付かずに「これは自分が解決しないといけない問題だ」と認識していたら、どんなに考えても解決策は見つけられません。
なぜなら、解決するには『相手に行動させる』必要があるからです。
自分の思う通りに、誰かを動かすことはできますか?できませんね。
人の悩み・問題を自分のものとして捉えるということは、自分では解決不可能な悩み・問題を延々と抱え続けるストレスに晒されるということなのです。
心理学者アドラーでは、課題の分離ができない人は対人関係で軋轢を生みやすいとしています。良好な対人関係を築くためには、人の問題に介入せず、一定の距離を置くことが重要と言っています。
そして、自分自身に対しては余計な悩み・問題を増やさないという意味でも大切な物事の捉え方ですよね。
では、どうやって自分の問題なのか、分離すべき人の問題なのかを判断すれば良いのでしょうか?
そして、判断した後はどのような行動を取ったら良いのでしょうか?これら二つの点をご紹介します。
1.最終的に『困る』のは誰?
まずは、悩み・問題が『誰』のものなのかを判断しましょう。
判断する基準は簡単です。その悩み・問題を放置した場合、『最終的に困るのは誰』と考えます。その『誰』の部分が、問題を抱える本人です。
人の問題を自分のものとして捉えてしまうケースの多い例を挙げます。読みながら考えてみましょう。
よくあるケースの一つは、親子間です。
親と子供は密接な関係にあるからこそ、問題を分離する判断がわかりにくいと感じる方が多いでしょう。特に、子供の幸せを強く願う方によく起きます。
例えば、「子供が勉強をしないで困っている」という親の悩みを、よく聞きます。勉学の大切さは大人になってようやく知る機会が増えていきますが、子供の頃は勉強は鬱陶しいものという感覚ですよね。その感覚の違いから、親はより口うるさく子供に「勉強しなさい!」と言ってしまいます。しかし、それでは子供は言うことを聞くはずもありません。
では、問題を分離するために『子供が勉強をしないと最終的に誰が困るのか』を考えてみましょう。
子供が勉強しなかった場合、学力が低下するのは子供自身です。当然、進路は狭まり、選びたい道を選べなくなってしまう可能性もあるでしょう。
親はと言うと、特に何も変化はありません。子供の学力がどの程度だろうと、それは親の人生には一切関係ないのです。
つまり、このケースでは勉強をするしないの問題は、子供にあるとわかりますね。
2.困るのが『自分』の場合
その問題によって最終的に困るのが、自分だった場合、問題を解決すれば困った状況は解消され、将来の不安も軽減するでしょう。問題を解決しない、または先送りにすれば困った状況は継続し、将来的に今よりももっと困ったことになることも考えられます。
何を選び、どう行動するかは自分次第です。その問題が自分に課せられたものだと自覚したなら、自分の問題とどう向き合うかも、本人に選ぶ自由があります。
3.困るのが『人』の場合
最終的に困るのが自分以外の人だった場合、特に何もすることはありません。相手が望む前に手助けすることも口出しすることも、相手にとっては迷惑になります。
こちらとしては、問題が見えているからこそ助けたいと思う気持ちがあるから、つい行動してしまいますよね。けれど、相手にとってみれば「まだ問題解決のために行動したくない」と思う時期であったら、周りが勝手に突いてくる状況は嬉しくありません。
人の問題に介入しようとすると、その相手から嫌われてしまいます。
問題の解決というのは、一見すると『良い行い』ですよね。しかし、良い悪いを判断するのは相手です。
自分で考え、自分で答えを見つけたいのに、先に答えを示してしまう人がいたら、あなたはどう思うでしょうか?
それが相手が感じる気持ちです。
あなたが責任を持つのは『自分の人生』だけ
人は自分一人分の人生の責任しか持つことはできません。
それが子供であっても大人であっても変わりません。
人の問題に立ち入らない。その行動は冷淡に感じられることもあります。しかし、相手が問題を乗り越えようとし、そのために成長しようとしているステップを邪魔する行為は、本当に『相手のため』なのか、考えてみてください。
本当に相手のためを思うなら、相手が苦しくても踏みとどまって問題を乗り越えようとする行動を、遠くから見守ることが、本当に相手のためになるのではないでしょうか。
あなたが責任を持ち、解決にあたるのは『自分の問題』だけです。人の問題は、その人が自分のものとしてどう対処するかを決める権利があります。
その権利に、周りがとやかく言うことは失礼ですよね。
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