対人関係が辛くなる原因は『境界線』が曖昧だから?

自分と他者との間に引く『境界線』が曖昧だと、対人関係でありとあらゆるトラブルを招きます。あなたの『境界線』は大丈夫ですか?

目次

自分と相手との間の『境界線』はいくつある?

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最初に質問です。
「あなたと他者との間には、いくつの境界線がありますか?」

対人関係で困っている人は、「境界線は二人の間に一つある」と考えています。しかし、たった一つしか境界線がない状態だと、どちらかが意見を主張したら、すぐに相手の領域に侵入してしまうことになります。
あなたの答えはどうでしたか?

境界線とは、自分と他者との間を明確に分ける線引きです。目に見えるラインはありませんが、精神的な線引きができていないと、人には踏み込まれたくない領域にズカズカと入り込んでしまったり、逆に入り込まれてしまったりします。
そこで起きるのは衝突です。相手をどれだけ気遣っていようと、踏み込まれたくない領域に許可なく踏み込まれれば、誰だって怒りや恐怖を感じるものです。

私が考える境界線は、自分の前に一つ、相手の前にも一つある状態です。お互いがお互いの境界線の後ろに立ち、中立のスペースがある状態が理想的だと考えます。

お互いに境界線があれば、その間は中立のスペースです。意見を主張しても、まずは中立スペースに意見を出し合い、パーソナルエリアに侵入されることはありません。
これならば、話し合いも安心して行えると思いませんか?

しかし、『境界線』そのものが曖昧になっていると、自分のことを人に委ねたり、人のことを自分のことのように必死になりすぎたりして、トラブルが増えます。
自分の『境界線』はしっかりと他者との間にあるかどうか、チェックしてみましょう。

1.その『問題』は誰のもの?

境界線は目には見えないため、存在を知るのはなかなか難しそうに思えますよね。けれど、少し視点を変えて日頃の自分の思考や行動パターンを考えてみると、境界線が明確になっているかどうかがわかります。

それが、『問題の所有者』が誰かという視点です。

例えば、現在抱えている悩みを一つ取り上げてみましょう。
その悩みで困っていると感じているのは、自分自身ですよね。では、その悩みによって将来が悪い方向へ変化してしまうのは誰ですか?

具体例を挙げて考えてみましょう。「子供が宿題をやらなくて困っている」との悩みを抱えているとします。
『困っている』というのは、事実に対する感想です。
実際に起きている出来事は『子供が宿題をやらない』ことですね。

では、この問題を翌日になって実際に困ることになるのは誰でしょうか?
責任を持たなければならないのは、誰でしょうか?

親の監督責任という人もいますが、小学校低学年ならば親が監督して学習を習慣化させていく必要性はありますが、高校生の子供であれば子供自身の問題です。たとえ小さな子供でも、宿題をやる必要性を学んだのなら子供に行動の責任があります。

ここで、自分が問題の所有者ではないのに、自分の悩みのように問題を抱え込んでいるとしたら、『境界線』が曖昧になっていると考えられます。

今抱えてる悩みや問題を書き出して、今のように誰が問題の所有者かを見直してみましょう。もし、自分の問題ではないことを悩み続けているとしたら、だいぶ悩みの数が減るはずです。

2.他者の問題に介入しない

境界線が曖昧な人は、人との距離が近過ぎる傾向にあるでしょう。親密なことが良いこと、一心同体が一番安心できると思い込んでいます。
しかし、自分は自分、人は人です。どれだけ親しくなれたとしても、境界線を超えて良好な関係を維持することはできません。

相談され、アドバイスを求められたのなら、自分ができる範囲で助けることは良いでしょう。しかし、基本的には『他者の問題には介入しない』ことが一番です。

身近で悩んでいる人がいても、それはその人が乗り越えて成長するために必要なステップです。自分が手伝うことで、その人が成長する機会を奪ってしまうと考えれば、境界線を超えてまで手助けしようとは思わないのではないでしょうか?

3.自分の問題に他者を介入させない

他者の問題に介入をしていなくても、人の問題に介入してこようとする人もいます。お節介好きな人ほど、自分と他者との境界線が曖昧で、赤ちゃんを世話するように手取り足取り教えて導くことが最も良い行いであると信じています。

その価値観を変えてもらおうとすると、とんでもない口論に発展してしまうため、価値観の違いについては口を挟まない方が良いでしょう。
しかし、自分の問題への介入だけは、きっちり断りましょう。

自分の問題を他者に介入されると、問題が大きくなったり、自分で解決する力を育てる機会を失ったり、得るものよりも失うものの方が大きくなってしまいます。

手助けを断ると、それに対して嫌悪を表す人もいますが、それは価値観の違いによるものです。相手の意見を尊重できない人とは、良好な関係性は築けません。
相手から本性を晒してくれるのならば、それを理由に関係を断ってしまっても良いかもしれませんね。

もう少しドライに生きても大丈夫!

薔薇の写真

日本人という民族は、察する力に長けています。しかし、現代の生き方には合わなくなってきました。周りに合わせ、周りの言う通りにしていても、自分らしく生きられません。

人は人、自分は自分と、自分の心を守るための境界線を引きましょう。
今よりもう少しドライに生きても大丈夫です。これまでが近すぎたのですから。

自分を優先し、自分の心に従って生きませんか?

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